BFI 研究会代表ブログ

フォト

カテゴリー

無料ブログはココログ
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

痛みの成因6)カウンセリングの意義

2014/02/21

痛みの成因6)カウンセリングの意義-DMNと光の解釈-

トップページ

作成中


5)五感力と食生活 Prev
                             
                            Nexxt 7)ストレス説の皮相性を斬る!-過去を封印して生きるということ-

. 
                     ≪トップページ

          ≪三上クリニカルラボ≫       ≪BFI研究会≫     











































.
私が開発したBFI は「体性感覚刺激による脱感作と再統合法」と定義される徒手医学です。その対象は主に身体的な痛みやしびれ、自律神経関連症状、さらに最近では精神疾患にも適応の幅を広げています。

一方、PTSDの治療として国際的な評価を受けているEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)は心理療法に位置付けられるものです(⇒日本EMDR学会)。

EMDRは基本的にカウンセリングを併用する療法と思われますが、BFI においては一部の症例-私が言うところの感情プログラムの問題が複雑かつ強固なケース-に対してのみ、カウンセリングの必要性が生じます(実際に行うかどうかは、現場の環境、施術者の判断によって分かれます)。

しかし、痛みの臨床においては、患者さん自身が感情プログラムの問題を認識しているケースは極めて少なく、なおかつ「心と痛みの関係」を忌避する人が少なくないという現状にあっては、治療家にとっては迂闊に入り込めないというむつかしさがあります。

そうしたなか、これまで私が行ってきた方法は「患者さんに“それ”がカウンセリングと悟られないようにカウンセリングをする」というものです。何気ない世間話や通常の問診を装いつつ、しかし私の中では患者さんの感情プログラム(たいていは無意識に抱える問題)へのアクセスを試みてきました。

こうした営為を数十年以上も続けていると、自ずと人々が抱えるさまざまな心象風景に出遭うことに…。その中には「無意識の回避措置として、心の問題から注意をそらすために痛み記憶を再生させる」といった風景も…。

精神科や心療内科でのカウンセリングにおいては、患者さん自身が“それ”と分かってカウンセラーと対峙しているわけですが、私の前に座る患者さんは“違う”わけです。そうした特殊な環境だからこそ気づけるものがあったという、そんな自負を私は持っています。

.

さて、私が言うところの「ハードか?ソフトか?」という議論は、あくまでも現象の捉え方(視点)に関するものです。説明手法の違いと言い換えることもできます。

.

マッサージの効果を説明する際「患部の血流が良くなって筋肉が軟らかくなったから痛みが取れる」と言うのが従来の常識(ハード論)。

.

それに対し、「体性感覚の受容器を刺激して脳に働きかけた結果、痛み記憶を形成する神経回路(セル・アセンブリ)の活動が抑えられて痛みが改善し、痛みの改善が自律神経の回復をもたらし、それによって筋の過緊張も回復する」というのが、私が唱えるソフト論。

.

運動器の痛みは外傷、感染、器質的疾患を除き、その多くは最終的に痛みという感覚が生成される現場すなわち脳の問題だと言うのが私の主張

.

マッサージで“良くなった”という人は、筋肉がほぐれたから“良くなった”のではなく、マッサージという刺激、体験をとおして、脳が脱感作された-脳の局所の興奮が鎮まった-結果、“痛みが改善した”、あるいは感情レベルで“満足した”というのが、その実相だと言えます。

.
Cerebellum10
ちなみに、このとき患者さんが抱く“満足感”と医学的評価に基づく“理学所見や疼痛の変化”は必ずしも一致せず、さらに患者さんの受診動機により大きな影響を与えるのは前者(満足感)であることが分かっています。つまり多くの患者さんは理学的変化よりも、感情レベルの変化を優先させる傾向があるのです(これを理解するには患者さんの“潜在意識”の領域にアプローチする必要があります)。
.

昨年の報道-日本整形外科学会は「腰痛の大半は画像検査が不要で、その成因に心理社会的因子すなわちストレスが関与」という診療ガイドラインをまとめた-にあるとおり、医学界はこれまでのハード一辺倒の姿勢を改め、ソフト論への移行を進めているわけですが、同じソフト論でも、私論とは異なり、ストレスという概念を前面に掲げて痛みの説明を試みています

.

しかし内観哲学の浅い患者さん、あるいは島皮質の活動が低下している患者さんに対しては、“ストレス”や“心”という概念、言葉はNGです。こうした方々にとってストレスと痛みの関係を理解することはむつかしいからです。

※島皮質の活動が低下していると、ストレスによる自律神経の乱れが顕著になる一方で、自分自身の“気持ちの動揺”、“心拍数の上昇”等を感じることができないという研究報告があります。以下は「島皮質の問題をとりあえず脇に置いておいて…」という前提で話を進めてまいります。


.

アメリカ社会では「自らの心の問題と対峙することは当然のことであり、カウンセリングを受ける行為は自己管理の証」として高く評価されます。お抱えの精神科医がいることを隠そうとするセレブは極めて少数派です。

一方、日本では心の問題に対して旧い先入観が残っており、場合によってはカウンセリングを受ける人を評価するどころか、むしろ「心の弱い自己管理のできない人」と感じる世人が少なくありません。犯罪被害者や被災者のPTSDといった心の問題が知られるようになった昨今、さすがに偏見の思いを露わにする人は稀ですが、多くの日本人が未だにそうした心性を無意識に抱えています。

.

つまり「心が強い人間=心の病にならない=カウンセリングは無用」という思い込みと同時に「心が弱い人間=心の病になる=カウンセリングが必要」という旧い先入観を抱え、カウンセリングを受ける行為に対して無意識の中でレッテルを貼って蔑視しているのです。

.

人間の健康の源に心身相関がある以上、肉体のメンテナンスと同様に、心のメンテナンスも必要だという極めて合理的な考えを持つのが西欧とりわけアメリカ人。その一方で、肉体のメンテナンス(人間ドック、一般健診、マッサージや矯正術など)には執心しても、心のメンテナンスを軽視もしくは蔑視する日本人。

.

このようにアメリカと日本のあいだに横たわる精神文化の差異は、何に起因するものなのか。宗教、歴史、文化の違いと言えば、それまでですが、私は内観哲学の“持ち方”の違いという視点で捉えています。

.

内観哲学をハンカチに喩えると、両国人ともポケットに入れて“持っている”のですが、かたやアメリカ人は胸ポケットから半分出して、すなわちポケットチーフにしており、所有していることを常に公開し、いつでも使いやすい状態にしています。他方、日本人はポケットの奥深くに仕舞い込んでいるため、所有の有無が非公開、かつスマートに出せない状態と言えます。

.

なぜ日本では内観哲学をオープンにする文化が成熟していないのでしょうか?なぜ自らの心と向き合う世界観を秘事にしたがるのでしょう?心の問題を話し合うことに“恥じらい”や“照れくささ”に似た感情を覚える人が少なくないのはなぜでしょうか?「“島国だから”とか、“つつしみ深さ”や“奥ゆかしさ”の精神文化を持っているから」という次元で片付けていいのでしょうか?私はそうは思いません。なぜなら、内観哲学における国民性の違いは、そのまま国の行く末を決める可能性があるからです。

.

明治維新後の日本は西洋化する過程で、物質文化のハイブリッド化(和洋折衷)には成功しましたが、精神文化のハイブリッド化には成功しておらず、戦後もその影を引きずっているという見方があります。精神文化の世界においては、大和魂をそのまま貫くべきという考えもあったようですが、現実には形而下と形而上を切り分けて文明開化をしていくことは至難の業だったと思われ…。

.

日本という国が開かれるタイミングの問題として、西洋化を急がねばならなかったという特殊な時代背景もあり、目に見える分かりやすい強さ、物質的な強さのみを追いかけるようになったのではないか。鎖国からの反動もあって、自己の内面ではなく、外の世界にあるものだけを追いかける精神風土を作り上げてしまったのではないか。私にはそんな気がしてなりません。

.

しかし、自己の内面と常に向き合うことで、自らの深部に宿る真の心性、彼我の距離感を測りつつ、そのうえで未来を切り開こうとする姿勢こそが本当の強さをもたらすことは、国家の舵取りという視点からも明らかです。

.

たとえば戦後の国家戦略を考えた時、はじめに敗戦の理由を透徹した眼差しでその根源に至るまで思索し、哲理を極めることが、未来の日本を真の意味で強くさせると言うことができます。さすれば、開戦のプロセスから終戦の幕引きを見誤った理由に至るまで、そのすべてが情報戦略の拙策-情報分析を戦略に転嫁するシステムの欠陥-にあったことは明白…。

.

世界情勢を高いレベルで俯瞰し、常に動的時間軸による思考をもって、あらゆる可能性を顧慮したシュミレーションを繰り返し、客観的な視点で自国をマネジメントしていく、そうしたシステムを構築することを怠れば、国を危うくさせるというのは当然の帰結です。自他に関わる情報戦略をマネジメントする能力こそが“国力”そのものだと言うことです。

.

鎖国時代が長かった日本、隣国と陸続きに接していないがために、隣人問題に対する免疫が少ない日本が今、最優先に学ぶべきは何か? 隣人を知ることは当然ですが、それ以上にまず己自身を知るということです。己を知らずに描く国家戦略がどういう末路を辿るのか、日本は身に沁みて分かっているはずです。

.

日本の大和魂の根本には己を知ってはじめて、真の強さを身に纏うという哲学があった…。少なくとも私はそう考えています。アメリカという国がいろいろな意味で“強い”のは、そのやり方はともかく、己自身をよく知っているからです。彼らは自分というものを本当によく分かっている。内観哲学があるからこそ、強いのです。己の弱点が見えれば、同時に強みも見えてくる。自分という存在の長所短所をバランスよく見極めることができる…。

.

深い内観哲学なくして国力の強化はあり得ない。これが私の国家観です。

.
人間という個人もまったく同じです。もし内観哲学を忌避するような人間が、あるいは浅い内観哲学を持った人間が多数派の世の中で、そうした人間が政治家や官僚といった国の中枢を占めるならば、日本はまた同じ道をたどることになる。そうさせないためにも、深い内観哲学を持った個人を一人でも増やし、引いては深く澄んだ内観哲学を持った国家に変えていく。これこそが、個人の“痛み”を深く洞察してきた私が辿り着いたひとつの答えです。個人の中にある痛みも、国家が抱える痛みも、結局は同じ視点に辿り着くということです。

.

ただし、内観哲学はただ深めればいいというものではありません。その“深め方”が大事なのです。今の日本人にとって、本当に必要な内観哲学は何か。それは光を見つめる哲学です。

.
自らの内面に宿る美しい場所を強烈に覚知し、そこにより多くの焦点を当て、光を見つめる内観哲学を持つという流れ。こうした“持ち方”が大事なのです

.

内観哲学という言葉の響きに内省的なイメージしか持たない者は、結果的に“持ち方”や“深め方”を誤る危険性があるということです。

.

自虐史観がなぜいけないかと言うと、影に偏った内観哲学を持ってしまうと、せっかくの哲学が負のエネルギー源になるからです。また内観哲学をポケットに仕舞い込むことで、欠点も晒さない代わりに利点も見えにくくさせてしまっていることに、意を注ぐべきです。国際的な視点から見て、自己をアピールすることが不得手な印象はもやは“謙遜の美徳”に映らないことも…。自らの欠点や短所を包み隠さず露わにし、そのうえで自らの長所、美点を声高らかにアピールする。こういう姿勢こそが国際的な信用に繋がるのではないでしょうか。

.
“カウンセリング”と聞くと、多くの人は「自らの悩みや心痛に対して、心理学的なアプローチで心の問題を解決してくれるもの」という、極めて受け身的なイメージを持つ人がほとんどですが、私は「患者さん自身が自らの内観哲学を深めるための一手段」と考えています。

.

カウンセラーの視点で言わせていただくと、「内観哲学を深めるきっかけを作り、同時に患者さんが自身の深部に宿している光を見つめることができるよう手助けをすること」、これがカウンセリングの真義、王道だというのが、私個人の考えです。深めるだけでは不十分で、最終的には光を見つめる内観哲学の重要性に気づいてもらうことが、最終目的地なのです。

.

自分という人生の主役はあくまでも自分であって、他人が主役の人生なんてあり得ません。私という個人が知覚している“この世界”は、スクリーン上に映し出されている“自分が主役の映画”のようなものです。しかも脚本・演出・監督も自分なのです。「幸せな気分になれる映画が見たい」と、“本当の自分”が望むのであれば、必ずそうなります。


こうした「現世とはすなわち自分が主役の映画なんだ」という人生観は、「自分が変わることで世界が変わる」という人生哲学を持っている人だけに許される視点であって、「自分が変わる必要はない。原因はいつだって外にある」という世界観を持っている人には危険過ぎて、絶対に持ってもらいたくない視点です。なぜなら、そういう人は「自分が主役なら、何をやっても許される」あるいは「自分が主役なら、自分を変える必要はない。脇役やエキストラたちが変わればいいんだ」ということになりかねないからです。

.

ですから、自分が変わることで世界が変わるという、そういう世界観をどの程度持てるのかということも、内観哲学の持ち方として重要な要素になってきます。その上て“本当の自分”が見えたとき、光の方向に確信を持てるようになるのです。そのきっかけやヒントになり得る一手段がカウンセリングだということです。カウンセラーに癒してもらうのではなく、「自らが高みに到達するためのツールとして、カウンセラーを利用する」という、そういう視点もあっていいのではないでしょうか。

.

もちろん家族、友人、恋人、仕事仲間の中に、既にカウンセラーのごとき役割を果たしている存在がいるという方もいらっしゃるでしょう。しかし、多くの人にとって、友達や仕事仲間がそういう次元の相談相手になるケースは限られると思います。相手がどのような感性を持っているか定かでない状況では、迂闊なことは言えないということもありますし、実際自分の内面を赤裸々に出すことで、その後の人間関係がむつかしくなってしまうことだってあり得ます。相手が親友だとしても、本当に深い次元の話というものは意外とできないものです。

.

その点、相手がカウンセラーであれば、とりあえず自分の深部を披歴したところで、その後の付き合いに支障を来たすような存在ではありません。相性の問題を感じたら、相手(カウンセラー)を変えれば済む話です。自分でも気づいていなかった内面性が露呈したとしても、後腐れがありません。友人や家族を相手にした場合、その後の人間関係や秘事の漏えいといった懸念がありますが、カウンセラーが相手なら、少なくともそういう次元の問題は極めて少ないと言えます。

.

アメリカ社会にはキリスト教という宗教上の軸-精神文化の核-があるため、宗派の違いはあるにせよ、クライアントとカウンセラーの交流にも、無意識の安心感があります。しかし、日本は基本的に多神教の文明社会であるため、両者のあいだに共通した“核”がありません。なおかつオウム真理教の事件以来、自らの内面に他者が侵入することを無意識に警戒する心性が強くなっています。そのため、カウンセリングという行為に対しても、自らの心を操作されるのではないかという心理防衛が働く人がいるのです。そういう方は精神世界を遠ざけることで、他者による介入のリスクを避けていると言うことができます。

.

しかし、前述したとおり、カウンセラーと自分との相性という次元にフォーカスして臨めば、つまり理屈ではなく、自らが感じる五感にしたがって、「ちょっと違うかな…」という違和感を覚えた時点で、自分の意思で中止することができるという“心の余裕、遊び”を持って臨んでいい場面だって、ときにあると思います。

.

つまるところ自分に変革を求めたいのか、変わりたくないのかという次元に集約される…。

.

己の人生は自分以外の何者かによって支配されるような性質のものではなく、あくまでも自分自身がプロデューサー。であれば、自分が変わることで“映画”のシナリオも変わる…』。そういう前提において、カウンセリングというものを上手に利用することができれば、自身の心のメンテナンスにもなるし、同時に深い内観哲学を手に入れるきっかけ(シナリオを書き換えるための何らかのヒントの取得)にもなり得ます。そういう一石二鳥の便利ツールと考えて、軽い気持ちでカウンセリングを試してみる、そんな捉え方もあっていいのではないでしょうか。

.

.

5)五感力と食生活 Prev
                             
                            Nexxt 7)ストレス説の皮相性を斬る!-過去を封印して生きるということ-

. 
                     ≪トップページ

          ≪三上クリニカルラボ≫      ≪BFI研究会≫     

.

 

その他のカテゴリー

100年プロジェクト-「母、激痛再び」の衝撃に想ったこと- | 9/24一般講演会を終えて-参加者の声- | BFI テクニック序論-基本的な考え方および検査等- | BFI 技術研修会のプログラム詳細 | BFI 研究会のホワイトボード | BFI 研究会代表あいさつ-NHKスペシャルが開いた扉の先にあるもの- | BFIの技術-最新版- | CRPS(RSD)-1)痛み・しびれと神経の本当の関係- | CRPS(RSD)-3)そのとき鈴木さんに何がおきたのか?- | CRPS(RSD)-4)鈴木さんが回復した理由- | CRPS(RSD)-基礎知識- | CRPS(RSD)-2)痛み信号の通り道と自律神経(ANS)- | CRPS(RSD)-プロローグ- | EBM(根拠に基づく医療)とは何か? | H29年7月のアップデートおよび比較試験の結果報告 | VASによる治療効果の判定シート | “治療的診断”に潜む論理的錯誤(ロジックエラー) | ①BFI 入門編-脳にアプローチする治療家にとって絶対的不可欠の心構え- | ぎっくり腰の真実-脳の自衛措置- | デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と自律神経の関係を考察する-BFIとシャムの比較試験より- | ニューロフィクス(neuro-fixed)という視点 | フィンガートラクション-その意義について- | プライトン固定セミナー | 体幹プライトンシーネ(元ほねつぎの母が脊椎圧迫骨折???) | 前腕骨骨折における上肢ギプス二重法 | 古今東西あらゆる痛み治療は最終的に“同じ場所”にアプローチしているという見方 | 外傷の痛み(ハードペイン)を再考する | 小脳へのアクセス-なぜ“関節”なのか?- | 役割分担-臨床研究と基礎研究とランダム化比較試験(RCT)- | 椎間板のパラダイムシフト(前編) | 椎間板のパラダイムシフト(後編) | 椎間板ヘルニア-①画像診断の矛盾- | 椎間板ヘルニア-②ヘルニアは脊椎を守る防御反応 | 椎間板ヘルニア-③末梢神経の圧迫≠痛み- | 椎間板ヘルニア-④神経の変性≠痛み(その1)- | 椎間板ヘルニア-⑤神経の変性≠痛み(その2)- | 椎間板ヘルニア-⑥神経の変性≠痛み(その3)- | 椎間板ヘルニア-⑦神経の変性≠痛み(その4)- | 椎間板ヘルニア-⑧神経の変性≠痛み(その5)- | 椎間板ヘルニア-⑨髄核の脱出≠圧迫 | 椎間板ヘルニア-⑩物理的な圧迫≠炎症の発生- | 椎間板ヘルニア-⑪椎間板の変性≠痛み(その1)- | 椎間板ヘルニアの真実-医学史に残る巨大な錯誤- | 母指3次元固定法(母指球安定型プライトン) | 無意識下情報処理が痛みや関節拘縮を改善させり理由-DMNとミラー療法- | 無意識下情報処理が痛みや関節拘縮を改善させる理由①-脳内補完とソフトペイン- | 疼痛概念のパラダイムシフト(前編)-AKA-博田法➡関節拘縮➡ANT➡シャム➡脳- | 疼痛概念のパラダイムシフト(後編)-セルアセンブリ➡脳内補完➡ソフトペイン- | 痛みと交絡因子とBFI-科学の視点- | 痛みの原因論の二極化(肉体?or 脳?)について一番分かりやすい説明-ソフト論、ハード論とは何か?- | 痛みの成因1)脳と心身環境因子 | 痛みの成因2)脳と内的要因 | 痛みの成因3)症状は生体の弱点に | 痛みの成因4)環境病という視点 | 痛みの成因5)五感力と食生活 | 痛みの成因6)カウンセリングの意義 | 痛みの成因7)ストレス説を斬る!-過去を封印して生きるということ- | 痛みの成因8)ストレス説を斬る!-ストレス≠痛み- | 痛みの成因9)ストレス説の皮相性を斬る!-脊柱管狭窄症と“気づき”の道程- | 痛み記憶の再生理論-セル・アセンブリのフェーズ・シーケンス- | 皮膚回旋誘導テクニック | 私の原点 | 脳疲労とは何か? | 脳膚相関-脳と皮膚の関係-を考える | 腓腹筋ラッピングシーネ | 腰痛-①腰痛治療の現状- | 腰痛-②痛みの科学的研究- | 腰痛-③整形外科の歴史と慢性痛- | 腰痛-④画像診断が意味するもの- | 腰痛-⑤腰痛の85%は原因不明- | 膝関節における前面窓式プライトン固定 | 自律神経測定による“治療効果の見える化”と代替報酬 | 触覚同期ミラーセラピー | 足底プライトンシーネ(ほねつぎの妻が骨折!) | 足関節捻挫における f-(ファンクショナル)プライトン固定 | 関節7つの精密機能-1)応力を分散させる免震機能(関節包内運動)- | 関節7つの精密機能-2)振動を吸収する制震機能(脳を守る骨格ダンパー)- | 関節7つの精密機能-3)衝撃をブロックする断震機能(関節内圧変動システム)- | 関節7つの精密機能-4)関節軟骨の神秘(“知的衝撃吸収”機能) | 関節7つの精密機能-5)関節軟骨の神秘(驚異の摩擦係数) | 関節7つの精密機能-6)潤滑オイルの自動交換システム(滑膜B型細胞の“受容分泌吸収”機能) | 関節7つの精密機能-7)関節受容器によるフィードフォワード制御 | 関節反射ショック理論 | 4スタンス理論と関節神経学の融合-4スタンス×8理論-